30代 中国語を極めるまでの記録

語学学習の進捗・気づきなどを記載していきます

「世界」と断絶した日本の英語教育

こんにちは。

朝早く目覚めてしまったので昨日に引き続き記事を書きます。

 

 

本日とあるサイトを読みながら以下のような英文に遭遇しました(若干改変してます)。

Recognizing the rapid globalization of markets and the increasing difficulty small businesses face in reaching international customers has driven the development of our platform.

主語がやたら長く、私が英語を習った学生時代には「頭でっかちな文」として悪文の典型とされたような文章です。

こういう文章は「We recognized the rapid globalization of markets and...」のような形に訂正されていました。

 

しかし、ある程度英語が分かるようになり、また普段から相応の英文に触れている今改めて考えてみると、それほど不自然な英語に思えません。

むしろ状況が100%伝わる自然な文章のように思えます。

訂正された形の文章の方が、定型的で無味乾燥であり、本来その文章が持っていたニュアンスや味を消してしまっています(そういう定型表現が好まれる場合もあると思います)。

 

要するに全ての表現はある型があってそれに一致しているか乖離しているかで正誤が判定されるべきではなく、目的によって自在に形を変えていくべきものだと考えます。

 

 

これはむかしYoutubeで見かけた動画ですが、

当時東大受験生だった東進の今井宏先生が、駿台伊藤和夫氏から

「Career womanはキャリアウーマンではなく職業婦人と訳しなさい」という指導を受けたという話がありました。

キャリアウーマンと職業婦人ではニュアンスが全く違う、前者はNYのオフィスビルの高層階で経済を相手に戦っているAmandaかJenniferで、後者は工事現場のプレハブ小屋で現場監督相手にお茶くみをしているタケかトメかクマのはずだ、という趣旨の反論をしたそうですが、「屁理屈を言うな」と受け入れられなかったそうです笑

 

 

こういった例は英語だけではなく、他の分野でも枚挙にいとまがないのではないでしょうか。

伊藤和夫氏のような大先生の指導ならば無条件に受け入れてしまう気持ちも分かります。

実際にそれをこすることである程度長期に亘り成功出来てしまう場合もあるでしょう。

しかし時代や状況が変わったときには途端に対応が出来なくなってしまう脆さがあります。

これは日本人の典型的な負けパターンでもあると思います。

 

先人が打ち立てた法則は確かにそれはそれは貴重で有用なものだと思います。

しかしそれを金科玉条にしてしまっては毒にもなりうるという話です。

そうならないためには、何事もアップデートが必要でしょう。

そして定期的なアップデートのためには世界と接触する必要があると。

 

タイトルにある「世界」とは世界の英語教育という意味ではありません。

世界のあらゆる人や情報のことを指します。

本来言葉というのはそれらと繋がるためのものなのにそこから断絶してしまっているからいつまで経ってもアプデが入らない。

少なくとも日本人の英語にはその傾向が強いように思います。 

 

ちなみに第二外国語ではこの傾向は弱めかも知れません。

もちろんその言語に興味を持っている人限定ですが、中学高校の英語秀才よりも生の言葉に触れようとする姿勢が強い人が多いように思います。

考えられるのは、授業や試験のためではなく実際に学校でネイティブと触れ合う中でその国の言語や文化に興味を持った人が多いからという理由が挙げられるでしょう。

 

言葉は巧拙よりも姿勢が大事、というのを改めて認識しました。

以上、自戒の念も込めて。

 

それではまた。