30代 中国語を極めるまでの記録

語学学習の進捗・気づきなどを記載していきます

続けることの難しさと“Hearing”について

こんにちは。

久しぶりに更新します。

 

近ごろ色々とやることが多く、ブログまで手が回らずにいました。

 

中国語を勉強し出したのが約二年前。

そこから一年半弱は一生懸命やっていたと思いますが、

ここ半年は集中的な学習からは遠ざかっています。

継続することの難しさですね。

 

最近はあくまで無理のない範囲で、

中国人の知り合い数名と毎日チャットをするようにしたり

中国語の本を手にとりページをパラパラとめくったりしています。

中国語の種火を消さないように、自分の人生のバランスが崩れないように。

 

一時期のような学習は出来ていませんが、いまはこれでいいと思っています。

運用力もチャットでの会話ならある程度スムーズに出てくるようになっていて、

今のところそれで十分かなと思っていますので。

 

それでも語彙の貧弱さは日々痛感するところで、

今やっているように会話で出てきた都度表現を覚えていくことに加え、

ボキャビルをある程度集中的にやる時間もいつかは必要かなと思っています。

その場合もあくまで短期決戦での形を考えています。

あまり時間を多く取り過ぎると今度は集中力が削られていきますから。

それにもっとやりたいことがたくさんあります。

 

いまは、中国語に対する情熱を消さないこと

そして中国語の基礎が完成するまで細く長くの学習を続けていくこと

この二つが大事だと思っています。

※後者に関する補足。外国語の基礎の完成とは、認知の面ではその言語の有機的な繋がりが見えていること、技量の面ではある程度自在に使いこなせるようになること。

 つまり「分かること」と「使えること」の二つだと思っていますが、これが出来るようになったら(中検準一級合格程度と想定)、ひとまず中国語の学習はやめていいと思っています。

 

さしあたり中国語に関してはそんなところです。

 

 

そしてもうひとつ。

前回の記事で書いた通り、語学の肝はやはり耳だと考えています。

今回は聴き取りについての気づきを簡単に書きます。 

 

英語で聴解能力といえば、ずっとListening(聴き取り)だと思っていました。

昭和から平成一桁くらいの頃まではHearing(聴力)と呼ばれていたイメージがありますが、

ある時期からはListeningと呼ばれることが増えて、いまは殆ど全ての学習者がそう呼んでいるようです。 

私も、Hearingという言葉を使っている人を見ると「あ、この人間違って使ってる」と思っていました(笑)

 

しかし最近は、一周回ってHearingでも良いのではないか?と思うようになっています。

どういうことかというと、ある程度までその言語に習熟してくると、

試験の場でも外国語の聴き取りというより、聴力検査を受けている感覚になってきます。

いや、むしろそういう感覚で受けた方が点数は伸びますし実地でも使えるようになります。

確実に。

 

たとえば先日のTOEICはそんな感覚でした。

そして、これは試験の難易度が上がっても同様です。 

仮にケンブリッジ英検CPEを受けたとしても、力のある人であればHearingの感覚で問題にあたることが出来ると思っています。

 

習得期間中は、Listeningの姿勢も大事です。

耳から入ってくる言葉を瞬時に分解・再構築しながら理解していくこと(脳が覚醒していく感覚を得られるこの作業がとても面白い)。

しかしリラックスした状態で“普通に”聴き取れるHearingの姿勢も必要で、

習熟度が上がるにつれその割合を徐々に増やしていくこと。

この姿勢です。

まあ私は「この人間違って使ってる」と思われたくないので人に対してはListeningで統一しますが(恥の文化)。

 

最近の気づきとしてはこれが一番大きいものかも知れません。

こういう気づきがあると世界の見え方が違ってくるのが面白いですね。 

今後もなにかあれば共有します。

 

 

さて、思ったより長くなってしまいましたが本日はここまで。

それではまた。